伊達政宗の茶室

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本来は伊達サイトの方でする話かもしれないけれども、前のケッタクソ悪いエントリの憂さ晴らしと、建物がらみってことでスマッチ! の方で。

大阪市浪速区に願泉寺という寺院がある。
政宗の大阪陣の時の書院と茶室が戦前まで残っていた。
残念ながら空襲で焼失。

こないだ伊達かつ茶会ネタの小説を伊達サイトに書いたのだけれど、読んでくださった方から、

「政宗上洛時の宿所・妙覚寺に、書院と茶室を秀吉から拝領した記事があるけれど、江戸時代の妙覚寺には確認できないので、
妙覚寺→聚楽伊達屋敷→伏見伊達屋敷→大坂と移築された可能性も」

とご教示いただき、間取り図まで頂戴しました。
嬉しいので載せます。



三畳台目のお茶室ですが、貴人口の縁の先は、実は書院の上段の間、武者隠しの扉に続きます。
それがなんとも武家風な気がします。

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コメント(2)

こんにちは>貴人口の縁の先は、実は書院の上段の間、武者隠しの扉に貴人口脇の露地が気になったのですが、そういう訳なのですね。 間取りが下座床なのが気になったのですが、そういう流れがあるのならば、座が書院や貴人口から遠い方が自然な気がします。間取りは、背景が判らないと不明な良い例ですね。

図面をくださった方によりますと、家臣にお茶をたてさせて亭主が客と一緒に喫茶することもあったのだそうで。。。いろいろびっくりでした。

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このページは、が2009年6月26日 23:43に書いたブログ記事です。

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