2月3日朝日新聞の「我が家のミカタ」の感想です。
とても身につまされるし、ひとごとじゃない。
片イナカ築古マンションの家主としては、明日は我が身と恐ろしい。
若い人の流出と高齢化に伴ってのゴーストタウンが記事中で語られてましたが、高齢化した人たちもこの街に来たときには若かった。
うちの親の実家なんかは、道路がついたり、駅前が整備されてたりして、きれいになるごとに寂しくなってゆく現実がある。
便利になれば、人が来てくれるのではなく、便利になったから出ていきやすくなったのです。
翻って分譲マンションを見るに、ある意味、片イナカ築古マンションの家主よりも恐ろしい。
と、いうのは去年、ケン・プラッツで、
「建替決議は一定以上の賛成多数で決議できても、解散(マンションを壊し土地を売って精算)は全員一致でないとできない」
ことを知ったから。
私はそもそも、賃貸マンションには住む気になっても、分譲マンションには住む気にならない。その理由は「朽ちる自由がほしい」からなのだが、分譲マンションの制限がここまでとは思わなかった。
実際、今でこそ分譲マンションの建替は増床&販売or賃貸ということをやっているが、人口動態からゆくと、幸運なごく一部の物件を除いては減築にむかわざるをえないだろう。
……そちこちのタワーマンション、どないなるんやろ。あぁ恐ろし。
せめて、法人化した管理組合だけにでも、解散する権利がほしい。
ゴーストタウン化で検索するとこんなのを見つけました。
「■高齢化に伴うゴーストタウン化は優しい政策が原因では?■日本人の土地信仰。所有にこだわるのは記事中にあるように幻想です。
けれども、人口の流動に限っていえば、少なくとも幕藩体制確立移行は流動は抑制され続けてきました。大雑把に400年間。
土地の所有とは別の次元で「流れない」「根を張って生きる」ことをよしとする価値観の歴史は長いと思います。
近代以降は積極的に人口の流動を奨励することも増えてきましたが、なかなか意識の切り替えは大変な気がします。
とはいえ、「今がその時期」ということには賛成です。
だって、ある街を維持するためには、別の街はあきらめる。人口を流入させるとはそういうことです。
私が上でぐちったのは、そういう淘汰によるゴーストタウン化であり、いつ自分の身に起こっても不思議のないことです。
そこから逃れる幸運を得る努力を続けるか(努力をすれば成功する確率はあがるが、成功してもまた数十年後にほぼ同じ危機があるでしょう)、今のまま緩慢に自然にすたれていくか、自ら始末をして別の街の維持と発展に寄与するか。
それを選ぶのはその街の住民なんですけど、今の日本の制度は、「街を捨てた」「街がほろびた」ときの始末をする仕組みがないのです。
「自ら始末をして別の街の維持と発展に寄与する」
これがスムーズにいくと、流動性へのモチベーションが高まると思うんですね。
消極的に出ていくのとは、やはり意識も違うと思うし。
人口が減るのですから、その仕組みがなければ、ゴーストタウン化した街や土地はそのまま、維持できた街の重荷になってゆきますし。
成長のための仕組みには、廃するもののための仕組みも必要なはず。
その手段が市場への「売却」のみでは、ゴーストタウンの始末にならない気がするのです。
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