柳生の里

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いいお天気だったので、柳生へ行ってきました。

柳生藩の旧家老屋敷が残っています。
高い立派な石垣の上にお屋敷。



城を思わせる豪壮な石垣ですが、屋敷自体は意外と慎ましやかです。




ご家老・小山田氏の家紋は丸に蔦なのですが、釘隠も蔦が使われていました。



通常の客間のほかに、殿様--藩主専用のお座敷がありますが、そちらの釘隠は別のもの。



破損部をつけなおしたときに木ネジで止めてあるのが、ちょっとほほえましい^^
欄間・書院のしつらえもほかより一段と立派でした。




昭和39年に山岡荘八が購入したと聞いてびっくり!
山岡氏の没後奈良市に寄付され、昭和56年の修理を経て一般公開されているそうです。

控えの間にきられた炉の上に釜をつる金具がなかったり、天井板に昔の照明の跡と思われる穴があったりしますが、そういうちぐはぐさが逆に、ちょっとずつ暮らしの中で手入れされてきたんだな、という感じです。

仏間は仏壇でなく棚。




軒にでっかいスズメバチの巣がありました。古いものでよかった!



この後、柳生陣屋跡、と芳徳寺へゆきました。
芳徳寺は石舟斎の居城の跡。陣屋・芳徳寺ともに街道を見下ろす形になります。

この芳徳寺には柳生歴代の墓所があり、こちらへも行って参りました。
何回か墓地を整備した形跡があり、ずらりと並んだ石塔は壮観。


墓地へ続く階段の横には昔の階段が残り、こちらをあがったところも墓地となっています。
上の歴代墓地に隣接してるので、縁者の方の墓地かもしれません。

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コメント(3)

歴史を感じる場所がたくさんありそうでいいですね。私が住んでるところには「江戸時代」以前の物件(?)は見当たりません。明治以降の歴史は面白い足跡がたくさん見られます。写真楽しみにしています♪

柳生の里、ご紹介ありがとうございました。家老の小山田氏は、江戸後期に外部からスカウトされ財政の建て直しをしたのですね。 江戸時代の武家というと硬直、固定化していたとおもわれがちですが、労働力の流動が始まっていたのかもしれません。(と現代に結びつけるのが悪い癖ですが:笑)それにしても、良い色の木材ですね。材料と普請が良いとこれだけもつのですね。

北国の夏さん北国の面白い足跡、興味深いです。またお教えくださいね。外資社員さん江戸後期って、建前はコチコチですけど、建前さえちゃんとしてたら何やってもOK! みたいな印象があります^^;お屋敷、ちょっと傷みが出てきてて、そろそろ修理したほうがいい顔をしています。木材も普請も、ご家老という言葉や石垣に比べると意外なほど質素でした。大和には立派な民家が多いものですから。。。。

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このページは、が2008年9月 7日 22:24に書いたブログ記事です。

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