都市と農村、という対立軸(あえてこう書く)を習った、というか意識したのは、中学の社会科の授業だったように思う。
始めて府立図書館へ資料を探しにいったのもこの頃で、研究授業で友人と一緒にOHPを使った発表をやった。
農村から都市への食糧と労働力の供給、三チャン農業、農業の機械化、そんなテーマだった。
私は都市で生まれ育って、今は片田舎ーー郊外で家主業をしている。
それで最近、賃貸住宅というのは本質的に都市で成立するものだ、という認識を強くしているのだが、それが
○第一次産業の事業承継上の問題
○地方の寸に合わない都市計画
○相続税上の問題
のために、本来ならそぐわない場所に、どん! とそぐわない規模の賃貸住宅が建ったりしている。うちなんかその典型だ。
本当は都市から田舎に至る軸線上で、評価の仕方も適した住宅もスライドしていくのが順当な気がする。念のために書いておくが、スライドとか軸とか書いてるのは、優劣ではなく、形態や手法の最適化方向が異なっているってだけ。
そういうわけで都市論も気になる今日このごろ、歴史趣味もあいまって手にとったのがこの本。
首都は明治に京都から東京へ、というのが一般的な受け止め方。
それをこの本は首都を「政治・行政の中枢的管理機能が集中する地域」と定義づけた上で江戸の首都機能の発達を語る。
江戸という都市を語った本はいろいろあるのだけれど、その多くは江戸時代後期のソレーー化政以降であることにお気づきだろうか?
江戸時代の多くの期間は今イメージする完成された江戸の姿とは違っている。
ではどのように江戸という都市が整備されてきたのか、ということにほとんどの紙幅が費やされているのだが、それは新鮮な事実の連続だった。
家康の江戸入城当時寒村であった、というのは完成された江戸からの対比であって、まぁ当時の普通の城下町。関八州を統べるための近世城下ーー家康はすでに安土や京・大坂で近世城下の一つの方向性を既に見ているーーとしては、当然未整備。
そこからの出発なわけだが、そうしてみると誕生期の江戸という都市は織豊の城下町整備とはかなり指向が違っている。
本書の記載で当初の重臣屋敷の配置を読むと、用語こそ「屋敷」だが実質的には本城からの距離といい、機能といい「出城」そのもの。それが本城&本城下の発展により、飲みこまれていったという印象である。
また、各町の木戸が既に慶長期に見られるという記載。
木戸は古くから町あるいは村を他所から隔てるための防御施設として広く見られる。
江戸期の木戸は自身番と一体となって、町の自警拠点となっていたが、上記の重臣屋敷配置と併せて読むと、そのルーツは中世・戦国の木戸であるように思う。
最初期の江戸は、乱世の城としての性格を色濃く残しているのである。
保守的・現実的な家康の性格が読みとれて面白い。
江戸が関八州の首府から、天下の首都となったのは関ヶ原の後、家康が「大坂か江戸か」を秀忠に諮問し、江戸を選択したときだそうだ。
時代別に江戸の地図をスライドショーにしてみたらきっと面白いだろうなぁ。
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