ヒト 家を作るサル

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ヒト 家をつくるサル
榎本知郎 著  京都大学学術出版会


前のエントリの最後で言ってた本です。
読了しました。


タイトルを見たときは類人猿とヒトとの比較の本かと思ったのですが、もっと広汎に「家作り行動」の進化のお話でした。


著者は鳥類や哺乳類の巣を比較しつつ、「家=巣」を「子どもを養育するためのシェルター」と定義付けます。
「家」は「寝る場所=ねぐら」と思ってたのですが、鳥類では「ねぐら」と「巣」は区別されるそうで。
鳥類哺乳類共通の概念としての「巣」の要素を抽出すると、「子どもを養育するためのシェルター」になるようです。
霊長類学のヒトらしい発想です。




「家」を作るのはいいことばかりではありません。

この発想が「家」を使うことに慣れきった私には、まず新鮮なのですが、元来ホモ属にとって「家」は必ずしも必要でないそうです。寒さに強いんだそうですよ。現生人類は。
言われてみれば氷河期にけっこう平気で生活してます。というか、分布を広げています。


「巣」は作るのにとても労力がいる。しかも不衛生なもの。「巣」に住まなきゃトイレの心配はいらない。すなわち消化器系の伝染病のリスクが減る。寄生虫の被害も減る。
不衛生と伝染病が前近代にどれだけの人命を奪ってきたか考えれば、とても重みのある指摘です。
事実、類人猿で「巣」を作るのはヒトだけで、他の類人猿は簡単な使い捨ての「ねぐら」を作るにとどまるのだそうです。


にも関わらずヒトは「家=巣」を作る、ユニークなサルである、と。

それはなぜか、ということを個体の発達過程と脳の進化から説明してありました。




どこの文化にも普遍的に「家作り行動」はみられるので、この行動は文化によって学習されるものではなく、生来的に持っている「家作り遺伝子」を仮想することが可能です。




ヒトは大脳を発達させ、かつネオテニー化することによって高い学習能力を獲得したのですが、それは裏返せば出生時には非常にか弱い存在であり、親の保護を必要とする子ども時代が非常に長いことでもあります。

ヒトのこのような発達様式にとって、「巣」というのは発明されてみれば、非常に便利なものですから、高い淘汰圧によってすみやかに「家作り遺伝子」が固定された、と著者は考えます。


200万年の現生人類の歴史の中で、家作り行動がみられるのは5万年前から。こんなわずかな期間で!
とすなおに私はびっくりしてしまいます。



ヒトの脳はネオテニー化を進めた結果、成人になっても幼児性を残しているそうです。
子どもの心を持ったヒトは好奇心にあふれ、発明を試み、「家」もそのような遊びの中で生まれたのではないか、と著者は推測します。


面白いのは、同じく「巣」を作る鳥類にみられる「トイレつくり行動」遺伝子はヒトにはみられず、トイレの問題は文化にまかされている、という指摘。もう何万年かたてば「トイレつくり行動」遺伝子が固定されるのかもしれません。




もうひとつ面白かったのは、シラミの宿主特異性を利用し、シラミの進化から宿主たる類人猿の進化がわかるというお話。
種特異性のある病気はけっこうありますが、細菌だと化石に残りにくいですし、進化(変異)のスピードが早いので、こうした研究は難しいでしょうが……

そういう視点が面白かったので、シラミの進化の本を探したくなりました。……一般書にはないような気もするな。

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コメント(7)

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ありがとうございます!早速TBうってみました。

家は類人猿の特殊な巣なのですね。なるほど、納得です。歴史を振り返ると、家が出来て、農業が始まると集落が出来、所有概念が出来て、身分が出来る。 動物の群れでの地位は存続の為の能力で決まりますが、人間の地位基準も、所有物とか血統とか、変わったもので決まります。転じて、中国では空前の不動産ブーム。ついこないだまで、公地公民で不動産の私有が出来ない世界に突然 降って沸いた大革命です。西欧の法概念や資本主義概念と、一見似て非なる所が、岡目八目のせいか、興味深く思えます。トイレは文化:これもなるほどと思いました。

>動物の群れでの地位は存続の為の能力で決まりますが、人間の地位基準も、所有物とか血統とか、変わったもので決まります。私はこれを、「クジャクの羽」だと思ってます。繁殖ディスプレイ。>西欧の法概念や資本主義概念と、一見似て非なる所中国は中国。としかきっと言いようがないのだと思いますが、やっぱり違いますか!またお話聞かせてください。とても面白そうです。

信義則のお話に関連して、中国の商取引や契約で感じるのは”公共の利益”という概念が希薄なのです。(と私は感じています。) 基本的には相対の世界のみが存在しているように感じます。 それは末端の役人が私権乱用、コネ社会でいるのであほらしくて公共の利益などは考えられないのでしょうね。とは言え、表面上のスローガンはあります。例として北京オリンピックの再開発。 昔からの住民が追いたてをくいますが、そこは都心の一等地です。お役人は国の為といいつつ、再開発に関連した利権に絡んでいることが多いです。だから住民も満足な対価を貰えるまでは立ち退きません。建前としての公共の利益は存在しますが、交渉は国家と個人ではなく、末端の役人と個人との取引なのですね。とは言え無秩序ではなく、交通事故などがおこると目撃者達が集まり事故原因をあれこれ言い立てて、一種 公開陪審員制裁判が始まります。不思議と一方に加担せず、どちらにも弁護が付きます。結果としては警察が介入するよりも直ぐに解決し、公的な罰則は無く金銭的な賠償がその場で片付きます。(重症事故など救急を要する場合は除く)根本の概念は異なりながら、結果はあまり変わらないので”理に従う”という、この考えは運営コストという面では良いのかもしれないと思いつつあります。

中国のお話、ありがとうございます。日本にもそういうトコロはありますが、さらにそれがグレードアップしたような感じだと思いました。>不思議と一方に加担せず、どちらにも弁護が付きます。ここが素晴らしいですね! ……これは日本にないかも。

思うに、江戸時代の裁判は似たようなものだと思います。理非を明らかということが目的であり、絶対的な法が存在し、それに照らす訳ではないのですね。多分、しぎのさんの借地問題も、大岡裁き風にすれば”借地一件、借受人が旧法を希望するなら、それも良し。ならば地主側の随時解約も有効となるので、それで合い判ったか!”借地人”お奉行様、お待ち下さい、それならば、いつ追い立てをされても文句が言えないということで?”奉行”そちが望んだことだろうに”借地人”ならば現在の借地借家法にてお願いします”奉行”言い立てを変えるとは不届きながら、蒙昧の輩故許して使わす、ならば借地借家法にて再契約で異存ないな””へへ〜”(一同礼)う〜ん、そうなると良いですね。日本の長期化する裁判や、上告して最高裁までという事例を見ていても、時間もコストがかかりすぎるように思います。江戸時代や中国のやり方は、コストという面では非常に効率が良いのですね。とは言え、中国もWTO加盟以来、西欧的な法概念の導入で変わらざるを得ないのでしょうけれど。

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このブログ記事について

このページは、が2007年6月12日 13:31に書いたブログ記事です。

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