国は身近か?——藤原紀香の結婚披露宴で思ったコト

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今回のエントリは住いと関係ありません。


藤原紀香と陣内智則の結婚イベントで、関西人の私は大いに愛郷心をくすぐられました。徹底して地元尽くしやったしね。
地元を愛する心、自分の属する共同体を愛する心ってのは、普遍的な感情だと思います。んでもって、共同体の最小単位が家族であり「家」というのはそのベースだなぁ、と思うんですけど、それはさておき。




最近ウチの息子も大きくなって、こないだ大阪歴史博物館へ行ったときに展示をみながら、私に聞くんですよ。
「おかーさん、なんで戦争ってあるの?」
「なんで軍隊ってあるの?」
素朴だけど返答に詰まるご質問をしやはる。




で、ずーっと頭の隅っこで考えてたんですが、最近新聞にあった「愛国心の教育」と、藤原紀香の結婚の一連の報道を見てふと思うところがあったので、メモします。




実は
自分が「日本国」という共同体に属している実感が希薄だ!
ということに、気づいたんですよねー。
私自身は、日章旗の掲揚にも国歌斉唱にもあまり抵抗のないヒトなんですが、それでも「日本国」に属してる実感が少ない。かといって、実感が全くないわけじゃない。だってオリンピックではやっぱり日本を応援するし。



ここでさらに普段自分が「国」「国家」という言葉を、「自分が属する共同体」という意味ではなく、「行政体」、あるいは「政府」として使っていることに気づいたわけです。
そりゃぁ、これじゃ帰属感ないわなぁ。これって主権在民の民主主義国家としてどーなのよ、とかも思わないでもないのですが、それもさておき。
記事の冒頭で挙げた素朴な愛郷心——政府の言うところの愛国心は、共同体に属して共生している実感から自然に生まれるもので、「愛国心」として教育されるもんじゃないだろうと思うんですよね。



翻って、戦前日本が「愛国心」というキーワードで団結できたのは、国家=共同体という実感がひょっとしたら強くあったのかも、と想像したりしてます。ここでいう実感というのは個人の主観的な実感であって、客観的にどうかということはこの際関係ありません。
(念のために強調しておきますが、上記は全くの想像で、根拠があって言っているわけではありません)
外敵があると共同体としての意識が強くなるものですから(動物が持つ一番原初的な感情は「恐怖」だそうだ)、幕末〜日露戦争あたり、そう考えるととてもわかりやすい。(太平洋戦争あたりはまだ記憶が生々しいので、そういう評価をするのはちょっと差し控えます)




外敵の実感は共同体の実感に直結しますから、在日米軍の問題や、しばらく前に騒動になった「竹島の日」やなんかも、そう考えるととても私には理解しやすいのです。
素朴な恐れを抱かせるモノ(モノが実体を持つかどうかは関係ない。主観的な「実感」があれば十分)が対岸に見えている、あるいはとなりにでん!と居をかまえている。
イデオロギーは後付けで、素朴な恐怖心が原点だと思うのです。





ここで共同体を「群れ」と読みかえると、さらにわかりやすい。
ホモサピエンスは進化の道筋で、群れを作る社会性の動物たる道を歩んできたわけです。外敵に対して、個体レベルの不利を犠牲にしても集団レベルでの存続を図るのが群れの本質です。それが現代社会で一番端的に現れてるのが軍隊であり、戦争なんだろうなぁ、と思ったのです。




ヒトが種として、共同体を個体よりも優先させる習性を持っているのは確かだろうと思われます。共同体の維持が先で、個人主義はその枠内でしかありえないんだろうと。
逆に考えれば、現代社会で個人主義がある程度発達している基盤には、それを許容する社会の物理的な豊かさがあるってことなんでしょう。中世日本の村には「個人」という意識がなかった、というのを藤木久志の著作で読んだ時には理解できなかったのですが、なんとなく今わかったような気がします。




少々の恐怖心を感じながらもこういう方向へ着地してしまいました。。。。。。
藤原紀香からスタートして、ものすごい脱線ですなぁ。
だからといって、群れ——共同体が国家という単位である必然性もさらさらないので、「群れ」としての現実感を失った国家は解体へ向かう可能性もあるのかもしれません。
(と、いうわけで華僑や客家、マフィア、ユダヤ、ロタあたりで面白い本ないかなぁ、とぼんやり考えています)


(さらに、というわけで、人間と家についての動物社会学っぽいタイトルの本を見つけたのでただ今読書中)



飢餓と戦争の戦国を行く飢餓と戦争の戦国を行く
藤木 久志

【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り 戦国の村を行く 刀狩り—武器を封印した民衆 百姓から見た戦国大名 土一揆と城の戦国を行く

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コメント(4)

ホントその通りですね。今、愛国心を持った人って少ないでしょうね。大きな集団よりも個人が尊重される時代ですから。格差社会が広がったらますます共同体意識は低くなりそうです。

さて、では、その個人が日本では存在するのか、存在したのか、という本を読んでいます(論点はそれだけじゃないですけど)。ちょっとはしょり過ぎな部分も多いけれど、こちらも面白いですよ。藤木さんとはちょっと違うかな、ですが。脳と魂養老孟司×玄侑宗久ちくま文庫

たまには、違う傾向の話題に感謝します。私が帰属心を感じるのは、伝統文化を学んでいる時ですね。趣味で故実を学んでおり、装束、和歌披講(何と和歌を歌ってしまう)、篳篥など、妙なものを習っております。仲間内で、生田神社での装束は話題になりました。着付けがアレなのですね、お二人が気の毒でした。紀香さんのは前があっていないし、陣内さんは剣が無いのに平緒をつけている。もし専門家以外は判らないと、こんな着付けをしたのならプロ失格なのだと思います。もう少し配慮すれば、故実的にも正しく、もっと美しさをアピールできたのだと残念でした。

>木谷さんコメントありがとうございます。なんだか、個人ってのは幻想に過ぎないんじゃないのか、という恐怖を感じたんですよね。集団の維持を前提に個人の存在が許されるんじゃないかと。格差社会とはいいつつ、現代は歴史的に見ても格差の少ない社会だと思います。格差が広がると共同体意識は低下、とも言い切れない気もします。>ひろぽんさんそれは面白そうですね!養老さんの文章は、実は苦手なのですが、対談なら楽しめそうです。早速探してみます。池谷さんの脳の本もこないだ読んだので、読み比べると楽しそうです。>外資社員さん文化への帰属心てのは、私もすごく持ってます。伝統芸能大好きです^^和歌被講、というと歌会初なんかで歌ってはるアレですか?故実とはまた、素敵なものを習ってはるんですね。平緒、、、、TVはあまり見ないので気づきませんでしたが、確かに太刀を佩いてませんね。あぁもったいない!

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このページは、が2007年6月11日 00:18に書いたブログ記事です。

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