2007年6月アーカイブ

忘れ去られた物件がありました。
バブルの頃につきあいで? 亡義父が買ったという。
今年で築25年になるが、この物件は自主管理ではなく、管理会社におまかせしてあり、ほぼ満室稼働が続いてます。
正直なところ、手間がかからないので、ほったらかしになっていた物件なのです。

大修理も一回もしていない。
と、ゆーか私も嫁に来て10年、一回も見たことがない。
いくらなんでも、見にいかなあかんやろ、大修理もせなあかん、たぶん大分傷んでいる。
と、ボスの命を受けて行って来ました。


覚悟はしていましたが、笑っちゃいたくなるほど傷んでました(やけくそで大笑)。
それにも関わらず満室で、賃料もきちんと相場並みに取れてます。
ところが悲しいかな、ローン返済がまだ残ってるのですが、満室でも返済だけでカツカツ。つまり税金分のキャッシュフローが赤です。そんだけ相場が下落したわけですね。

今、大修理なんてできひんわ! お金ないし!

と、いうわけで、返済が終わるまで小修理でごまかしごまかし行くしかありません。


見に行ったとき、通り雨が降りました。
雨が上がって日が差して。
川沿いの借景の美しい物件なので、浴びた雨露がキラキラと輝き、そのときばかりは傷みを感じさせない姿を見せてくれました。
スレートの屋根の上を、けぶったもやがゆらめき走るーー

……ちょい待ち。あのもや、雲の影が映ってるのかと思ったけど、雲の動きと違うし。
一緒に行ったダンナに
「ねぇ、あれなんやと思う?」
「……屋根から立ちのぼってるみたいやなぁ……湯気……???」
風に流されて美しい流れを見せていた「ソレ」はそのうちに消えました。
屋根から立ちのぼっていた、というのが不安です。。。。
さる同業者の勉強会にて。
新築の賃貸マンションでも、すぐに満室にならない、という話を、講師である不動産業者の方がしはって。
家主業ン十年という大先輩が、
「それは賃貸マーケットが縮小していると考えてよいのか」
という質問をしはった。
講師の答えは
「新築マンションが埋まらないのは、賃料設定等の事業計画の誤りであって、新築がでてくるということは、マーケットが縮小しているわけではないのだ」
というものだった。


横で聞いていて、
「話がかみあってない」
と思った。先輩もそう思ったらしく、同じ質問を繰り返したが、返ってきたのは同じ答えだった。
……やっぱ、うまくかみあわない。
もっと違う話だと、互いに違いがわかるんだけど、微妙にズレた話って、うまくわかってもらうのが難しい。


新築のマーケットは、そりゃ縮小してないでしょう。
でもそれは、築古から新築へ、「賃料があまり変わらないなら」と移る人が多いからで。
その地域の人口は増えていない。むしろ減少傾向やし。

けど、先輩の聞いたのはそういう意味ではないと思う。


昔は、新築は事業計画の見直しをするまでもなく満室になった。
新築のが人気に違いはないが、築古にもお客さんは回ってきた。
人口はどんどん増えた、右肩あがりの時代。

今は、計画が起こって建物が立ち上がるまでの2年弱に、賃料がどの程度下がるか見当がつかない、と講師自身が言ってはった。

マーケット縮小、というよりも、拡大率が下がっただけかもしれない。
けれど、人口は減少傾向だし、持ち家(マンション)は昔より手軽に買えるようになったように思う。

実感としちゃ、やっぱり縮小……してる気がするなぁ。






余談 
ミート社のワンマン創業社長の横で、「本当のことを言って下さい」と頭を下げたり、報道陣に対応したりしてフォローしている取締役の息子さん。
私もある意味2代目なので、なんとなく共感を覚える。。。。
住所パワー

ここギコねねさんが紹介してはったんで、早速遊んでみました。
どれどれ、うちの物件は……っと。

わははははは。
ど田舎とCクラスだぁ(笑)。

まぁそんなものだと思ってはいたので、クラスわけそのものよりも、ごく近隣と比べて、ちまちまとしたライバル心を燃やしたりしながら、眺めています。

点数と賃料相場を比べても面白い。
昔(20年ほど前)、友人が
「世界には南北問題が3つある。北半球と南半球、北イタリアと南イタリア、そして大阪府の北部と南部」
というギャグを教えてくれましたが、実際大阪北部ーー北摂地域の賃料は、大阪市内中心部からの時間距離が同じでも、南部と比べてかなり高いのです。
それが住所パワーではかるとどっこいなので(笑)。


この住所パワー、単純に1.5km以内にある施設の数をカウントして得点を出しています。
それでねねさんも書いてはるとおり、高級住宅地なのに、1.5km圏内の風俗街を拾っちゃったりして点が下がる。また田舎の人間は自動車が移動の基準なので、徒歩での移動を想定した1.5kmというのは、あまり意味を持ちません。
歩いて5分だけど、駐車場のない村のよろず屋よりも、車で10分の広い駐車場を持つ郊外大型店舗へみな行くわけでございます。
んで、よろず屋はつぶれた。


都会でも京都とか大阪とかは平地なので、徒歩も大事だが自転車が大きな意味を持ったりする。
(ちなみに京都の老人なら、市バスのバス停が近い、というのも価値が高いと思われる。敬老パスですし詰めの市バスに乗って東寺に通うおばぁちゃん'sはすばらしい)


だからその、なんというか。
住所パワーをもう少しローカルにして、指標&記事として東京R的なウンチクをたれると、地域サイトの一コンテンツとしても、面白くて、使い方によっちゃ地域起こしにもなりそうな。


住所パワーもハイレベル!?
お久しぶりの続編です。

あれから電話攻勢を先方にかけましたが、いつも本人留守で、出るのは子どもばかり。もしくは留守電。
一度だけ大人が出たので伝言を頼むと拒否されました。

「ご家族なんでしょう?」

と聞くと

「違います」

と。

「じゃあ、お客さんでいらしてるんですか?」

と聞くと

「ここに住んでますが、別世帯ですから!」

と来た。子だくさんなのは知ってるので、成人しているお子さんだと思われる。そりゃあ住所が一緒でも世帯分離はできるけどさ。。。。ま、ひょっとしたらホントに他人かもしれないが、それはそれで賃貸契約上大問題だ。
しかし、同居人(たぶん子ども)にこう言わせるって、どんだけどーゆーことをしてるんだ。。。。。

仕方ないので、電話はあきらめて、再訪問すると、前に応対してくれた娘さんが、また出てきてくれました。
前と同じくごくまともな応対をしてくれたので、彼女に廃車関係の書類一式を預けました。

さて、どうなることやら。
屋根も壁も吹きとび、骨だけになった建物をみて、背筋が寒くなりました。
お亡くなりになった方のご冥福をお祈り申し上げます。


背筋が寒くなったのは、爆発の写真を見たから、というだけでもない。
分譲マンション、分譲賃貸マンションで「天然温泉付」というのはけっこうある。
けれど、物件オーナーはどの程度、温泉に含まれるメタンガスのことを知っているだろうか?

恥ずかしながら、私は今回初めて知った。

このことに一番背筋が寒くなった。

うちの物件に温泉付はない。
けれども、大阪や東京の投資用分譲マンションの営業はよく来るし、その中には温泉付のものも少なくない。(関東平野直下にガス田があるなんてしらなかった!)

「これだけ設備充実してるんですよ」
という宣伝はしっかりある。
けれども、それら設備のメンテナンス及び故障の際のリスクはほとんど説明されない。設備維持のための設備についても同様。
聞いても
「管理会社がきちんとメンテナンスするので心配ありません」
という回答が多いであろう。
そして、一応のチェックはしても、周りとほぼ同じ管理体制であれば安心する。
そして目的に適いそうであれば購入するだろう。

このあたりは通常の分譲マンションも同じと思うが、賃貸マンション(投資用分譲賃貸含)の場合、設備の故障による「身の危険」を引き受けるのは、所有者でなく、借主なんである。
ああああ。怖いよう。


まるで金融商品のごとくに、遠方の投資用分譲賃貸の営業があるけれど……。
今回の事故でとても怖くなったので、ますます買う気は起こりません。
メインのデスクトップPCが6年目を迎えて青息吐息(ときどき勝手に再起動する)。
また、オオバァちゃんの見張りをしながらノートPCを使うことも多いので、バックアップと利便性を兼ねて、ファイルサーバーを設置しました。

んで、ファイルサーバーにバックアップ用のHDDも接続し、マイドキュメントをファイルサーバーに設定。

よっしゃ! と満足していたのですが……。

ときどき共有エラーとかで保存に失敗

失敗したファイルは名前が変わってtmpファイルに変身。

おかげで行方不明になるファイルが続出し、頭を悩ませてます……。
最近はまず保存してから、プログラム終了するようにしてますが、困るのはあちこちの書き物の下書きを一身に背負っている、わがW-ZERO3と同期をかけるとき。

消えてしまった! と大騒ぎを何回かしたあと、PC(ファイルサーバー)側にはtmpファイルで残っていることが判明したので、名前をつけなおして拡張子も変えて保存しなおし、という作業を強いられてます。

気づく前のは誤って消しちゃったのもあり、先月は本家サイトの更新が出来ませんでした。30年モノの部屋のリフォーム写真だったのに!
知人から写真貰ってやっとこさアップロードしましたけども。


今日のエントリも下書きがあったのに、そうなりました。。。。。。
なんか、投稿する気が失せたので、その原因となった状況をエントリしてます。。。。。
なにやってんだか。
一応、新しくできた法律というものは、それ以前の契約には適用されないことになっている。

敷金問題の場合、消費者契約法成立以前か以後かで明暗が分かれるケースもある。

でも、「遡及されない」のが原則なんて考えには、あまりとりつかれない方がいい。(実際に係争になれば一応主張はするけどね)
特に借地契約は長期契約なので、ことさらだ。


なんでこんなことを言い出したかというと、賃借人さんがしばらく——数年間借地料を滞納した。
(数年、というと長く聞こえるが、年払契約なので1年2年滞納したからって、簡単に解約できないのである)
それをきっかけに、

「借地借家法ベースの契約にさせてほしい」

とこちらから申し入れた。
先方は渋った。それは従前どおり旧借地法ベースの方が、借地人には有利だからだ。曰く、

「遡及しないはずですよね?」


確かに、そういうことにはなってる。でもそれを言い出すと、この借地契約、借地法成立以前の契約なのである。
借地法の成立以前も以後も、契約書の巻き直しはしてないので、今でも形式上は契約当時の「借地証書」が生きていることになってしまう。
すなわち、貸主からの即時解約もOKだし、借主は原状回復として、田んぼに戻さないといけない。
100年近く前の借地証書どおりの履行を求められるか?
そんなこたないのである。
その間に政体が変わったとか言うのはこの際無し。さすがに
江戸時代のお白州が適用されるなんてことはないが、戦前政府の判例は今も使われている。主権は天皇から国民に移ったが、政府は存続してるのかな? とか疑問点は多々あるけど、踏み込むとさらに収拾がつかなくなる。


聞けば先方も、まだまだずっと契約を続けたいという。
借地契約の「当分」というのは、1世代は確実に使うということである。
1世代というと、おおざっぱに30年。さらに言えば、借地契約は50年が原則。それだけ後の時代に、今の常識や契約がどの程度通じるか?


結局長期の契約というのは、当初契約や契約期間中の経緯を考慮しながら、都度合意を形成していくほかないのである。 


なんていうごたくを、素人ながらにもんもんと考えていたらば、ウィキペディアの信義則の説明にあっさりと書かれてありました(笑)。

「事情変更の法則
 社会的事情に変化があれば契約の内容はそれに応じて変更されなければならない。」

敷礼0で入った方が滞納しました。
やっぱ今でも、一時金ってのは信用はかる面もあるよなぁ。


「初期費用少なくして」「んで早く入居したいの」

こーゆー人は断った方がいい。
今回の人は後者はなかったからOKしたんですけどねぇ。



電話したんやけど、なしのつぶて。
保証会社がついており、仲介業者さんが管理の形になってるんで、仲介業者さんに電話しました。
「保証会社に連絡するのってどないしたらいいですかね?」


とりあえず仲介業者さんが借主さんに連絡を取ってくれることになりましたが、はてさて。
入居してわずかなのに、これじゃあ困るナァ。



ヒト 家をつくるサル
榎本知郎 著  京都大学学術出版会


前のエントリの最後で言ってた本です。
読了しました。


タイトルを見たときは類人猿とヒトとの比較の本かと思ったのですが、もっと広汎に「家作り行動」の進化のお話でした。


著者は鳥類や哺乳類の巣を比較しつつ、「家=巣」を「子どもを養育するためのシェルター」と定義付けます。
「家」は「寝る場所=ねぐら」と思ってたのですが、鳥類では「ねぐら」と「巣」は区別されるそうで。
鳥類哺乳類共通の概念としての「巣」の要素を抽出すると、「子どもを養育するためのシェルター」になるようです。
霊長類学のヒトらしい発想です。




「家」を作るのはいいことばかりではありません。

この発想が「家」を使うことに慣れきった私には、まず新鮮なのですが、元来ホモ属にとって「家」は必ずしも必要でないそうです。寒さに強いんだそうですよ。現生人類は。
言われてみれば氷河期にけっこう平気で生活してます。というか、分布を広げています。


「巣」は作るのにとても労力がいる。しかも不衛生なもの。「巣」に住まなきゃトイレの心配はいらない。すなわち消化器系の伝染病のリスクが減る。寄生虫の被害も減る。
不衛生と伝染病が前近代にどれだけの人命を奪ってきたか考えれば、とても重みのある指摘です。
事実、類人猿で「巣」を作るのはヒトだけで、他の類人猿は簡単な使い捨ての「ねぐら」を作るにとどまるのだそうです。


にも関わらずヒトは「家=巣」を作る、ユニークなサルである、と。

それはなぜか、ということを個体の発達過程と脳の進化から説明してありました。




どこの文化にも普遍的に「家作り行動」はみられるので、この行動は文化によって学習されるものではなく、生来的に持っている「家作り遺伝子」を仮想することが可能です。




ヒトは大脳を発達させ、かつネオテニー化することによって高い学習能力を獲得したのですが、それは裏返せば出生時には非常にか弱い存在であり、親の保護を必要とする子ども時代が非常に長いことでもあります。

ヒトのこのような発達様式にとって、「巣」というのは発明されてみれば、非常に便利なものですから、高い淘汰圧によってすみやかに「家作り遺伝子」が固定された、と著者は考えます。


200万年の現生人類の歴史の中で、家作り行動がみられるのは5万年前から。こんなわずかな期間で!
とすなおに私はびっくりしてしまいます。



ヒトの脳はネオテニー化を進めた結果、成人になっても幼児性を残しているそうです。
子どもの心を持ったヒトは好奇心にあふれ、発明を試み、「家」もそのような遊びの中で生まれたのではないか、と著者は推測します。


面白いのは、同じく「巣」を作る鳥類にみられる「トイレつくり行動」遺伝子はヒトにはみられず、トイレの問題は文化にまかされている、という指摘。もう何万年かたてば「トイレつくり行動」遺伝子が固定されるのかもしれません。




もうひとつ面白かったのは、シラミの宿主特異性を利用し、シラミの進化から宿主たる類人猿の進化がわかるというお話。
種特異性のある病気はけっこうありますが、細菌だと化石に残りにくいですし、進化(変異)のスピードが早いので、こうした研究は難しいでしょうが……

そういう視点が面白かったので、シラミの進化の本を探したくなりました。……一般書にはないような気もするな。
今回のエントリは住いと関係ありません。


藤原紀香と陣内智則の結婚イベントで、関西人の私は大いに愛郷心をくすぐられました。徹底して地元尽くしやったしね。
地元を愛する心、自分の属する共同体を愛する心ってのは、普遍的な感情だと思います。んでもって、共同体の最小単位が家族であり「家」というのはそのベースだなぁ、と思うんですけど、それはさておき。




最近ウチの息子も大きくなって、こないだ大阪歴史博物館へ行ったときに展示をみながら、私に聞くんですよ。
「おかーさん、なんで戦争ってあるの?」
「なんで軍隊ってあるの?」
素朴だけど返答に詰まるご質問をしやはる。




で、ずーっと頭の隅っこで考えてたんですが、最近新聞にあった「愛国心の教育」と、藤原紀香の結婚の一連の報道を見てふと思うところがあったので、メモします。




実は
自分が「日本国」という共同体に属している実感が希薄だ!
ということに、気づいたんですよねー。
私自身は、日章旗の掲揚にも国歌斉唱にもあまり抵抗のないヒトなんですが、それでも「日本国」に属してる実感が少ない。かといって、実感が全くないわけじゃない。だってオリンピックではやっぱり日本を応援するし。



ここでさらに普段自分が「国」「国家」という言葉を、「自分が属する共同体」という意味ではなく、「行政体」、あるいは「政府」として使っていることに気づいたわけです。
そりゃぁ、これじゃ帰属感ないわなぁ。これって主権在民の民主主義国家としてどーなのよ、とかも思わないでもないのですが、それもさておき。
記事の冒頭で挙げた素朴な愛郷心——政府の言うところの愛国心は、共同体に属して共生している実感から自然に生まれるもので、「愛国心」として教育されるもんじゃないだろうと思うんですよね。



翻って、戦前日本が「愛国心」というキーワードで団結できたのは、国家=共同体という実感がひょっとしたら強くあったのかも、と想像したりしてます。ここでいう実感というのは個人の主観的な実感であって、客観的にどうかということはこの際関係ありません。
(念のために強調しておきますが、上記は全くの想像で、根拠があって言っているわけではありません)
外敵があると共同体としての意識が強くなるものですから(動物が持つ一番原初的な感情は「恐怖」だそうだ)、幕末〜日露戦争あたり、そう考えるととてもわかりやすい。(太平洋戦争あたりはまだ記憶が生々しいので、そういう評価をするのはちょっと差し控えます)




外敵の実感は共同体の実感に直結しますから、在日米軍の問題や、しばらく前に騒動になった「竹島の日」やなんかも、そう考えるととても私には理解しやすいのです。
素朴な恐れを抱かせるモノ(モノが実体を持つかどうかは関係ない。主観的な「実感」があれば十分)が対岸に見えている、あるいはとなりにでん!と居をかまえている。
イデオロギーは後付けで、素朴な恐怖心が原点だと思うのです。





ここで共同体を「群れ」と読みかえると、さらにわかりやすい。
ホモサピエンスは進化の道筋で、群れを作る社会性の動物たる道を歩んできたわけです。外敵に対して、個体レベルの不利を犠牲にしても集団レベルでの存続を図るのが群れの本質です。それが現代社会で一番端的に現れてるのが軍隊であり、戦争なんだろうなぁ、と思ったのです。




ヒトが種として、共同体を個体よりも優先させる習性を持っているのは確かだろうと思われます。共同体の維持が先で、個人主義はその枠内でしかありえないんだろうと。
逆に考えれば、現代社会で個人主義がある程度発達している基盤には、それを許容する社会の物理的な豊かさがあるってことなんでしょう。中世日本の村には「個人」という意識がなかった、というのを藤木久志の著作で読んだ時には理解できなかったのですが、なんとなく今わかったような気がします。




少々の恐怖心を感じながらもこういう方向へ着地してしまいました。。。。。。
藤原紀香からスタートして、ものすごい脱線ですなぁ。
だからといって、群れ——共同体が国家という単位である必然性もさらさらないので、「群れ」としての現実感を失った国家は解体へ向かう可能性もあるのかもしれません。
(と、いうわけで華僑や客家、マフィア、ユダヤ、ロタあたりで面白い本ないかなぁ、とぼんやり考えています)


(さらに、というわけで、人間と家についての動物社会学っぽいタイトルの本を見つけたのでただ今読書中)



飢餓と戦争の戦国を行く飢餓と戦争の戦国を行く
藤木 久志

【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り 戦国の村を行く 刀狩り—武器を封印した民衆 百姓から見た戦国大名 土一揆と城の戦国を行く

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