政宗文書3を入手。
殺伐とした話題の多かった「政宗文書1」とくらべると、どことなくのどかで頬が緩む。
裏ではどうなのか知らないが。
鶴や鶉や菱食の季節が気になる今日この頃。
夫婦祭用に成実と二階堂氏の話を書いているが、行き詰まり中。
ちょっと関連年表をメモ。戦国大名二階堂氏の興亡史 参照
天正17.10.26 須賀川落城、二階堂氏滅亡
18.6.24 岩城常隆、鎌倉にて没
この間 佐竹能化丸、岩城氏を相続
18.7.30 岩城長次郎、出生
慶長5 関が原。岩城氏改易。佐竹氏にしたがって秋田へ。
慶長12 岩城長次郎隆道、政宗を頼り、1000石を賜る。生母二階堂氏同行す。
慶長15 岩城長次郎、伊達氏を賜り、政隆と改める。一門に列し、栗原郡清水城へ移封
慶長16 小僧丸出生
慶長19.10.10 小僧丸没
元和1 岩城政隆没
6.10.23 二階堂氏没
臨月近くに夫を亡くしてるんだ……。
二階堂氏は成実に再婚した年には30代半ば。後嗣を得るために嫁がせた、とすればこの時代の感覚ではちょっと年寄り過ぎている気がする。18年間の空白の後の妊娠を望まれる――現代でもかなり辛いもんがある。
なんのために、敢えて娶わせたのか?
政隆はどこに1000石貰ったのか?
政隆の賜った偏諱はなぜ「宗」でなく「政」なのか?
なぜ隆道は「隆」の字が上にきてるのか?
政宗の政隆に対する厚遇ぶり。親戚で、かつ名家だからか? なんとなくわざわざ「親戚だから優遇した」ってわざわざ書いてあるのにひっかかる。
こういうところに引っかかるから進まないんだよな……。

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